194366 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Melting pot

Melting pot

NYに暮らして

★エキサイティングな街New Yorkとダブルところがあります。

1990年8月から約2年間暮らしたはじめての海外、NYについて書いてみます。

~プロローグ

まず、このことを書いておかなければならない。
英語が大嫌いな私が、なぜNYで暮らすようになったかという事。

昭和時代が終わり、平成になったばかりの頃、私は叔父にある人を紹介してもらった。お互い、写真と履歴書を交換。なぜか、あちらの写真はもらえなかったけれど、話によると千葉出身の同級生。しかも次男。この年になると、知らずと条件の中に入ってた、兄弟関係。最終学歴も今の職業も申し分ない。。。
だけど、あとは本人がどういう人かってことが一番。

忙しいとか言われて、2ヶ月くらいそのままになってしまって、もう一度叔父に聞いてみると、相手はいつでもいいと言い出した。
なので、日時を決めて、叔父を含めて3人で会う事になった。

もちろん、叔父は同じ会社なので会った事はあった。しかし、直属の部下というわけではなかった。(ここがポイント)

「はじめまして」
と会って時は、叔父の言うとおり、長身で目が細かった。
茶色のセーターを着てた。覚えているのはそれくらい。
それだけ、緊張してたのかも。

2人になって(お決まりだよね、若い人同士にしましょうと、あの雰囲気)、ランチをしに行く事になって、そのときに衝撃の告白。。。


ちょっとオーバーだけど、簡単に言うと、履歴書は実は今日来た彼の。
お見合いの代打できたというのだ。
あとで聞いたところ、最初の人は適当に返事をしていたらしく、いざとなったら来るのが嫌になったらしい。そこで、友人である今の夫がきたというのだ。

こうなったら、何かの縁とばかり、その日はデートした。
私もそんなに嫌な印象は無いのだけれど。

次のデートの時、彼は言った。
『僕は、来年には留学でアメリカに行く事になるのだけれど、海外で生活がいやだと言うならこの付き合いも考えないと・・・』
2回目のデートで言う事か!

ビビッ!

私の何かが感じて、
『それでもいいんじゃないの。』
なんと言う大胆な事を言ってしまったのか。
私は自慢じゃないけど、英語は大嫌い。
そんな私が、外国で生活するなんて・・・

まさにビビッと婚だったのかも。
運命というのか、赤い糸があったというのか。

私の何とかなるかもって気持ちがそうさせてしまったようだ。

結婚へは、とんとん拍子だった。
夫も忙しいながら、勉強と結婚準備。
大学が決まったのは、結婚直前だった。
そこではじめて、NYとなった。

結婚して3ヶ月後、私は渡米した。

ちなみに、結婚式には来るはずだった彼も友人として来ていた。
私の友達は、開口一番
『あっちじゃなくて良かったね。』
私も同感だった。(笑)



© Rakuten Group, Inc.